2025年 2月 3日 今が頑張り時!
新山です。
もう2月。どの受験生にとっても等しく、第一志望校の入試まで1か月を切ったことになります。
早いものですね。感傷癖はよくありませんが、振り返ってみれば、受験勉強を始めてから今まで、長かったようで、しかし非常に短くも感じるのではないでしょうか。
加齢とともに体感時間は短くなるそうです。小学生の時と比べて、1時間の長さがまるで違うでしょう。脳にも容量がある以上、重要性のない情報はどんどん忘れていきますし、頭の中で思い浮かべようとしてみても、案外、反応がないかもしれません。
しかし記憶のうちではあっという間でも、この現実世界には、みなさんの努力の跡は確実に刻まれています。
自分の周囲を、少し見まわしてみてください。
あなたの今使っている鉛筆は何代目ですか? あるいはシャーペンを使っている方は、何回そのペンに芯を詰め直しましたか? 消しゴムは何回買い換えましたか? 家にある、プリントアウトした過去問の数は? 単元ジャンル演習の問題の数は?
教科書やノートの状態はどうですか? 小口はよれて天はすれ、表紙の色は消えかかっているのではないでしょうか?
あなたの努力の痕跡は、物質的な形で、必ずあなたの身の回りに残っています。
それに、物質だけではありません。
保護者、友人、そして東進ハイスクールのスタッフたち。この1年間で、あなたと僅かにでも接したことがある人なら、みな心の中に、あなたの頑張りを記憶しています。
もしあなたが、自分自身の1年間に対して自信を持てないなら、上に挙げたようなことを思い出してみてください。
あなた自身が不安でも、人も、モノも、あなたの周りにあるもの全てが、あなたの努力を証明してくれるでしょう。
だから自信を持って、入試に臨んできてください!
……とは書いたものの、
不安なんて解消されるわけないですよね。
そんなに簡単に忘れられたら、苦労しません。
だいたい、「自信を持って」という言葉自体、私は好きではありません。
個人の嗜好を持ち出すのはナンセンスだとしても、やはり現実的には、結局のところ、自信を持つことなんて不可能なのではないでしょうか。
自信を無理にもったところで、ちょっとそれが打ち砕かれたときのことを考えてみれば、一瞬のうちに雲散霧消してしまいます。
ぼくたちが君の証人だと言われたところで、不安なものは不安です。
「自信を持て」なんて無責任ですし、仮に持っても余計苦しくなるだけです。
だから、私は「自信を持つ」ことはおすすめしません。
では、どうすればいいのか?
不安と正対することです。
不安に対処するのは無理です。
振り払って逃げ切ろうとしても、執拗にまとわりついてきます。
自信の鎧で着飾っても、そんなもの簡単に破壊してきます。
何をしたって離れられません。
なら、いっそのこと、真正面から向き合ってみましょう。
大体、本当に逃げたいなら、あるいは、本当にわが身を守りたいなら、第一にすべきは逃げることでも、鎧を着ることでもありません。
まず、相手のことをよく知ることです。
相手の正体を突き止めることです。
敵の情報も知らないで、どうして対策を練ることができましょうか。
過去問を解くのと同じ要領です。
まず、不安から目を背けない。ガードしてもいけない。
ちゃんと顔をまっすぐに向けて、不安の正体を徹底的に観察するのです。
そうしたら自ずとわかってきます。
結局、不安の正体は、自分自身だということ。
それに対して、他人がどう思っているかとか、モノをどれだけ消耗させたとか、そんなものは関係ないですよね。
何の慰めにもなりません。
それで、結局、どうすればいいのか。
不安と一緒にいることです。
常に不安を抱きながら、変わらず進んでいくです。
不安の正体が自分なら、それはつまり、自分が自分に挑戦状を突きつけているのと同じことです。
友人でも、先生でもなく、自分自身です。
なら、他人に協力は仰げませんし、逃げても逃げても逃げきれません。
畢竟、それに立ち向かっていくしかないのです。
一度打ち勝ったとしても、すぐにまた第二波が来ます。それが終わったら第三波。
キリがありません。
しかし、それでいいのです。
中には、三角形の山の頂点に、丸い岩石を置こうとして、何度も何度も岩を押し続けることに、生の真実を見出す人もいます。
先にも後にもなにもありません。
結果なんて考えなくていいです。栄えたって諸行無常、いずれまた勝負がやってきます。
他人の思いも、自分の経歴も、自分の今の心境も、全部関係なく、ただ一瞬、自分のためだけに、全力を尽くしてきてください。
そこにこそ、頑張ることの醍醐味があると思います。
あともう数日。やり切りましょう。